ストレスという概念は、カナダの生理学者であるセリエ(Selye, H.)がストレス学説を提唱してから広く使用されるようになった。
外から生体に刺激が加えられると、生体側に歪みが生じ、それに適応しようとする反応が起こる。セリエは、ストレスに対する生体の反応を、警告期、抵抗期、疲憊期の3期に別けられる、「汎適応症候群(General adaption syndorome:GAS)」によって提唱した。
ストレスは必ずしも悪いわけではないが、疲憊期に達するほど長く継続するストレスは有害である。この外からの刺激がストレッサーであり、それに対する生体側の反応がストレスである。
第1段階 警告期(alarm reaction)
生体が急にストレッサーに直面した時に示す反応である。この時期はショック相と反ショック相の2つに分かれる。ショック相はストレッサーからショックを受けている時期であり、体温の下降、血圧の低下、急性の胃腸の爛れなどが見られる。その後、ストレッサーに対して抵抗を示す反ショック相になり、ショック相とは全く逆の状態となり、体温や血圧の上昇などが見られる。
第2段階 抵抗期(the stage of resistance)
さらにストレッサーに晒されると抵抗期になる。この時期は生体がストレッサーに抵抗し、一応安定した状態になる。
第3段階 疲憊期(the stage of exhaustion)
しかし、さらにストレッサーが持続すると、生体は適応反応を維持できず、抵抗力は減退しショック相と同じような反応が生じ、ついには死に至る。
セリエが、ネズミの実験結果を元に提唱したこの理論は、現代社会にとって、とても重要だと思います。
ストレスが発生し、その後安定したように見えても、それは一時的なものでしかなく、長期に渡れば、その先には死しかないということです。
これについて考えていて、第2次大戦終戦間際に「物は有限でも、精神は無限であります!」と国会で答弁した軍人の言葉を思い出しました。ストレスフルな状態に陥った会社で、根拠も無く「気合でなんとかなる!」と言っている人は、この軍人と一緒で、戦いに負けるのでしょう。
個人的には、「戦争に負ける」「組織が崩壊する」「会社が潰れる」が先に来て、「個人が死ぬ」が最後に来るのだと思います。
組織が死ぬのが先か、個人が死ぬのが先かの問題にあって、「気合でなんとかなる!」という選択をすることは、「組織よりも個人を先に殺す」という選択でしかなく、「組織も個人も生き残る」という選択ではありません。
ストレスを一時的なものに留める事こそが、「組織も個人も生き残る」選択なのだと思います。
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