環境のあいまい性は、どんなに予測しても取り除くことは不可能。
あいまい性への最も積極的な対処方法は、環境変化を受身的に待つのではなく、自ら環境を創造(エナクトメント)すること。
環境のあいまい性は、どんなに予測しても取り除くことは不可能。
あいまい性への最も積極的な対処方法は、環境変化を受身的に待つのではなく、自ら環境を創造(エナクトメント)すること。
仕事は、エンジニアリングとアートの2面によってなりたっていると、良く感じる。
定型的な業務は、フローやチェックシートに沿って行い、その流れを改善して行くことでより良くなる。(エンジニアリング)
非定型的な業務は、携わるメンバの総合力から、新しいものを生み出すことでより良なる。(アート)
もしかすると、全てのものごとにはエンジニアリングとアートの2面があり、それに能率的に対応するために、脳は右脳と左脳に分かれたのかも知れない。
分析型戦略論は、主に1980年前後まで展開されてきた。
それらは、分析的アプローチによって経営戦略の合理的モデルを析出しようとしたものであり、分析型戦略論と呼ばれている。
分析型戦略論は長い間、経営戦略論の中心にあり、さまざまな戦略モデルと精巧な手法が開発されて来たが、企業側では「戦略計画は役に立たない」「PPMのいっていることは、非現実的で単なる数字合わせ」という声が聞かれ、分析型戦略論の限界が指摘されるようになった。
それは、トップマネジメントないしは戦略スタッフが排他的に戦略を策定し、戦略に合わせて実行手段としての組織を設計すると考えられたいたため、多様な人々が戦略の策定や実行に関与したり、影響をあたえていることに配慮していなかったためだ。
分析型戦略論の問題点を補うものとして、進化論的アプローチ、組織論的アプローチが生まれ、1980年代初頭にエクセレントカンパニー理論が台頭した。
1980年代半ば以降、プロセス型戦略論として展開されて行く。
競争戦略とは、企業戦略によって規定された個々の製品市場で、防御可能な地位を築き、競争相手に打ち勝つための方法をいう。
プロセス型戦略論は、戦略が生み出されてくるプロセスそのものを対象とする。ここでは、戦略の本質は創造にあり、新しいものを創造するために、これまでの知識体系(パラダイム)を根本から揺り動かして変革する場合もあると考えられている。
プロセス型戦略論は分析型戦略論よりもはるかにイノベーション(革新)志向であり、また当初よりイノベーションを狙いとしている。
大前流 プロフェッショナル論というITproに掲載されていた記事が、とても面白かったです。
記事を読んだ限りだと、大前氏のプロフェッショナルとは、『プロフェッショナルかどうかは、「顧客に対して責任を負う」かどうかだ』という言葉に尽きるようです。
長文なので、個人的に重要だと思ったところを抜粋してみました。
「プロフェッショナル」という言葉が氾濫しているが、プロフェッショナルの定義は何だろうか。プロフェッショナルとそれ以外の人を分ける決定的な違いは、顧客第一を貫けるかどうかだ。すなわちプロフェッショナルとは、顧客に対して責任を持つ人である。ところが、世にある定義の大半は、最重要の顧客を忘れ、知識や技能の優劣ばかりを論じている。 「自分にとっての答えを自分で見つけた個人が飛躍できる」。今という時代は、誰もが手中にできるそんなチャンスが転がっている。だから日本のITエンジニアも頑張ってほしい。正しい質問をし、そして自分で答えを見つけるためのアプローチを考える。このような習慣を身に付けるのだ。
偏差値世代の人々は、学校や予備校から「お前の偏差値はこの程度。だから適当な学校はここだ」と小さい頃から言われ続けてきた。そして知らぬ間に、「自分はその程度の人間」と潜在意識に間違った評価を植えつけてしまっている。まったくもったいない話だ。
「インターネットの情報は信頼できない」とか、「Googleが考える力を奪う」と主張する向きがある。だが私はこれには同意できない。検索キーワードの組み合わせを工夫することで、知りたいことをどんどん深掘りできるからだ。
Googleの効果的な使い方を知った人は、相当なことまで調べられ、しかも頭が良くなるはずだ。Googleを使う際、「何を知りたいのか」と問いを立て、「どのキーワードを使えば正しい答えが返ってくるか」と考えるからだ。正しい質問を考えられる頭を鍛えるために、格好の訓練と言える。
多くの経営者は、自分はなぜ悩んでいるのか、何について悩んでいるのか、そもそも会社をどうしたいのか、を明確に定義できていない。自問自答をしていないからだ。
悩みは心身の健康に良くない。悩むことに何の生産性もない。悩んで問題が解決することなどない。問題解決の手法を学び、悩みに正面から取り組む習慣を付けると悩みがなくなる。毎日熟睡でき、心身の健康が保たれる。するとますます悩みがなくなる。
「対策がない問題もあるだろう」と言う読者がおられると思う。その通りだが、それなら誰も対策を打てないわけで、なおさら悩んでいても仕方がない。「地球に巨大隕石が降りかかってきたらどうしよう」などという問題は、悩んでも仕方がない。その時が来ても悔いなく死ねるよう、普段から心掛けておくだけだろう。
社会に出たら答えのない世界が待っている。実際、企業が遭遇する問題のほとんどには答えがない。社会に出たら答えのない世界しか待ってないのに、学校では答えを覚え込む訓練だけをする。日本の教育が世界に通用する人材を養成できなくなって久しいが、その最大の理由は、学校が世間の現実と事ほど左様に乖離(かいり)してしまったからである。
世の事象の大半には答えがない。だから、その場その場で勇気を振り絞って考えるしか道はない。「この世界でこの問題に答えを出せるのは自分自身しかいない」。このようなメンタリティになれるかどうかが、自分の創造性を発揮し、プロフェッショナルとなるための最も重要な条件だ。
プロフェッショナルは、創造性を発揮できる人である。どうすれば創造性が増すだろうか。問題がぼやけている段階では創造の力は出てこない。解決すべき問題を特定し、取り組むべき物事のスコープを狭めることが、自分の創造性を引き出すための重要なポイントだ。
エスタブリッシュメントに対して遠慮せずに、物事の本質を論説する大前研一氏は、自分にとってのビジョナリーです。
企業者的問題
その企業の製品・サービスや標的となる市場、あるいは市場セグメントを選択、識別することによって、その企業の行動規範を明確にする問題。これは、企業全体に関わる問題であり、他の問題領域とのバランスが求められ、主にトップの責任に関わる。
技術的問題
企業者的問題を業務レベルにおいて解決するための、システム構築の問題を含んでいる。そのようなシステムを構築するために、選択された製品またはサービスの生産と流通のための、適切な技術を選択することと、その技術を正しく使うために、情報とコミュニケーションとコントロールを正しく結合する、もしくは結合し直すことが必要とされる。
管理的問題
組織のシステム内部における不確実性を減少させる問題であり、企業者的側面、技術的側面で直面した問題を、成功裏に解決した組織の諸活動を合理化し安定化させる。それらの活動を、ノウハウや方法として理解・理論化して組織に蓄積し、将来の指針とする。
組織の環境への適応の有効性は、組織の製品市場領域の選択(企業者的問題)、そこで活動するための技術(技術的問題)、それらを調整する組織構造と過程(管理的問題)の間で、経営者が達成する適合の質に依存している。
防御型
事業を比較的狭い製品市場に限定して、そこにおいて効率を高め、価格競争力を高めようとする。
探索型
自ら積極的に変化を生み出し、常に技術革新に積極的で、すばやく新製品を導入するが、その製品・市場が安定してくると他の新しい製品へ移って行く。
分析型
一方で既存の製品市場に確固たる基盤を確立しながら、他方で新製品、新技術の機会を探索、利用し、あるいは探索型企業の開発した製品、市場のうち成長見込みのあるものに参入し、新旧事業を併存させる。
受身型
環境の変化にすばやく適応せずに、変化が定着した後、後手に回って対応する。効果的な一連の一貫した対応メカニズムを欠いた、不安定な組織であり存続は困難。
コトラー(Kotler,p.)は、市場実態に即した4つの競争ポジションを設定し、その各ポジションに応じた競争戦略を類型化した。
リーダー
最大のマーケットシェアを有し、利潤率の低下を防ぐために廉売はせず(非価格対応)、下位企業の差別化製品に対して同質の製品を投入(同質化)して規模で対抗する。
チャレンジャー
リーダーに対抗してシェア拡大を狙い、特にリーダーに対して差別化を図っていく。
フォロワー
模倣によって一定の品質を確保し、コスト節約により低価格で対応する。
ニッチャー
特定セグメントに焦点をあて、そのニーズに特化し、独自能力を生かして特定市場内で独壇場(ミニリーダーの地位)を築こうとする。
今の現場は、追加開発ということもあり、各案件のボリュームが小さいので、要件定義⇒設計⇒コーディング⇒テスト⇒リリース、を1人の開発者が全て行うという生産方式をとっています。
これってソフトウェアのセル生産方式だなと、なかなか考えさせられます。
しかし、先日切られたフリーランス(40代)の方は、「設計とコーディングは本来別の人が担当するべきものだ」と言っていましたが、それってT型フォードの大量生産方式だな~と気付きました。ベルトコンベアの流れに沿って、各工程を別の人が行う生産方式です。
100年くらい前に生まれて、現在では「ダメ生産方式」の代名詞となっているものを、推奨していた訳です。年だから、昔の人だから、とかではなく単なる勉強不足。そういう言い訳は、現役である内は通用しないのでしょう。
各工程を得意な人が専任していれば、ベルトコンベア型になったとしてもセル生産に負けないんじゃないかな、と思ったりしますが、それはT型フォードも同じだったから、フォードはトヨタに勝てなかったのでしょう。
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