以前書いた、自営業の保険料、国民健康保険税、のブログ記事について、お世話になっている医療法人 社団永仁会 吉永医院の吉永先生より、お叱りのメールを頂きました。
お世話になっている方を呆れさせてしまうとは、情けない限りです。
なかなか聞けない貴重なご意見なので、公開する許可を頂きました。
以下本文
久しぶりにちょっと時間ができたので佐藤さんのブログを見ましたが、正直、国民健康保険料に関する記述にはあきれました。
ため息をついてやり過ごそうかとも思ったけども(そういう考え方をする人は多いので)、うちでもよく働いてもらった佐藤さんだから、ちゃんと言っておいた方がよいかと思い、メールを書くことにしました。
たしかに、国民健康保険料は個人事業主ではとても高いし、社会保険庁の職員の横領や莫大な無駄遣いを考えると腹がたちます。まもなく解体になるわけですが、さっさと解体して、これまでさんざん甘い汁をすってきた人たちには受け皿にならないような機関を作って運営してほしいものです。保険料の額も、無駄をなくしたり工夫して減らすことができないのか、配分も考え直してほしいものです。
しかし、年間いくらの保険料負担になるから、健康で医療にかかることのほとんどない自分には損であり、だからはいらない方が得という考え方は根本から間違っています。いや、その方が得なのは確かだから、間違っているわけではないですね。単に自分勝手ということです。保険料は自分のために払っているのではないですよ?
まあ、保険料という名前だからいけないのでしょう。僕は、保険税とか福祉税とかいうような名前にして、堂々と税金としてとるべきだと思っていますが、民間の保険とは根本的に考え方が違うのです。
自分は健康だから医療費がかからない。若い人ならあたりまえです。では病気をいくつも発症してしまう高齢者の医療費は誰がまかなうのでしょう?その人たちが自分の責任で民間の保険に入っておけばよかった、ないしはそれに備えて若いときからためておけばよかった?そんな目先のきく人間ばかりなら国の運営はさぞ楽でしょう。実際はそうではない、いくら我々が警鐘をならしても自分だけは健康だとたかをくくってしまう人のいかに多いことか、さらに困難なことに健康に充分気をつけて生活習慣病のリスクを減じている人ですら一部はその生活習慣病にかかってしまうことはあるし、癌などの悪性疾患を発症してしまうこともある、予測がつかないのです。そういう人が医療費を払えなくて医療を受けられなくなった時に、自業自得だからといって切り捨てられますか?そんなことはできない。目の前に苦しんでいる人間がいれば医療をほどこすのです。
民間保険にはいれなかった人にはセーフティネットを? アメリカのメディケイドがそうですが、どれぐらいの人がそれで満足のいく医療を受けられているでしょう。実際、医療をまったく受けられないか、受けられたとしても高い薬は使えない、治る可能性はあってもその薬はあなたには使えませんよというのが、アメリカです。一人あたりの医療費は世界一高いのに、医療を受けられていない人も世界一多いのがアメリカです。医療政策・医療制度の完全な失敗だったわけです。日本も何を勘違いしたのか小泉時代に医療に民間保険を持ち込んでアメリカ式にやろうとしたり医療自体を市場原理にゆだねようとしてあぶない方向にすすんでいるわけですが、そのアメリカは自分たちのやり方が失敗であったことを認めて、次の手を模索しているわけです(国民皆保険を何とか実現させたいクリントンなどは昔日本に見学に来た時にその医療費の安さに驚いて、これでは医療者の負担が大きすぎてアメリカでは真似できないと帰っていったこともあるのです)。国民の健康と安全には金がかかるし、それは市場
原理にまかせていては不可能。それを知っているヨーロッパの福祉国家はアメリカほどではないが日本よりははるかに医療・福祉に金をかけて、税金は高いけど病気に対しては皆が平等に治療を受けられるようにとしているのです。
一見話は違いますが、ベースにしている考え方が同じなので、例え話を書きますと、インフルエンザの予防注射をうつことをすすめています。日本はうつ人がまだまだ少ないです。アメリカですら日本より多くの人がうっています。福祉国家の多いヨーロッパでは無論さらに多くの人がうっています。うっていても10人に1人ぐらいはかかってしまうのですが、うった方がかかりにくいし重症化しにくいのは当然です。ただ、大事なことは、自分がかかるかかからないかが問題ではないということです。社会全体としてインフルエンザの罹患率が減ることが目的、大流行を起こさないことが目的なのです。ヨーロッパのある国(どこだか忘れましたが北欧でしょう)では、インフルエンザ予防注射をどうしてうつのかと聞くと、「自分がインフルエンザにかかって苦しむのが嫌だというわけじゃなくて、自分がかかってしまうことで自分の家族や大切な人にうつってしまうのが困るからだ」と当然のように答えるそうです。
昔の共同体はどこにいってしまったのでしょう?因習や世間体といったものに束縛されていたかもしれないが、少なくとも犯罪を防ぐ監視の目・子供たちを守る暖かい目と隣近所の老人や弱いものを慈しむ思いやりがあったように思います。
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